みなさん、ご無沙汰しております。
制作班・放送班etc.に所属しております、おちです。
【ご報告】と題した投稿がありましたが、あれは実は、おちが書いておりました。
あの投稿では名乗りませんでしたが、広報の方が名前を出してくださったので、名乗りました(笑)
今回のNコンは、当日の審査に行けなかった方も多くいたということで、例年よりひと足もふた足も先に、結果発表をしていただきました。
そういうわけで、審査員の方からの全体講評・個別講評は、つい先日いただいたばかりです。
講評もひととおり読み、自省もひととおり終わり(?)、私が考えたことを、少しシェアしたいと思います。
そういうわけなので、OHBの人にこそ、読んでもらわねばならない記事かもしれません(笑)
講評を読んで思ったことは、
ああ、これが1位と2位の差か…
です。
幸いなことに、別々の部門ではありますが、1位と2位をいただきました。
そういうわけで、こんな感想になるのですが、がっかりしたとか、びっくりしたとか、マイナスの感情は一切湧いて出てこなくて、
ああ、思ってた通りだ。
ぐうの音も出ません。
と思ったんですね。
賞をいただいた作品のうち、1位をいただいた作品は、
う〜〜〜〜〜ん、まだ不完全だ。
ここは削りたくないし、でも削らなかったら余計だし…
う〜〜〜〜〜〜ん、やっぱり私はこのまま出したい…!
という、大きな葛藤がありました。
一方、2位をいただいた作品は、
う〜〜〜〜〜ん、まあ、いいんじゃないかなぁ…?
でした(笑)。
私にはあれ以上の引き出しはなかったですし、
欲を言えば、最後のシーンをもう少しこだわりたかったな〜
くらいのもので、葛藤という葛藤はありませんでした。
それが、審査員の方にも少なからず伝わったのでしょう。
講評にも如実に表れていました。
1位をいただいた方の講評には、お褒めの言葉と一緒に、たくさんのアドバイスもありました。
2位をいただいた方の講評には、お褒めの言葉しか書いてありませんでした。
逆じゃないの?と思うかもしれませんが、これがその「差」なのです。
お褒めの言葉しかないということは、
「うん、まあ、いいんじゃない?」止まりの作品だった
ということの表れなんです。
アドバイスもあるということは、
「もっとこうしたらいいのに!」と思うほど印象に残った
ということなんです。
これが、「作品に対して順位がつく」ということなんです。
これは、結果が発表された時、いや、もっと前から、なんとなく頭の中でわかっていました。
賞がもらえるかどうかは確信がありませんでしたが、きっと順位がつくとしたら、審査員の方がつけた通りの順位になるだろうと、わかっていました。
先輩たちには、1位と2位が逆だと思ったと言われましたが、私は、絶対にそうはならないと思っていました。
逆に、どうしてそう思っていたのか、先輩たちに聞いてみたいなとは思いますが(笑)
それは、Nコンの作品制作を通して、私が至ったひとつの答えでもありました。
1年生の頃、放送部経験者でもなんでもなかった私は、はじめてNコンというものを知り、アナウンス部門にチャレンジしました。
結果は鳴かず飛ばずでしたが、取材直後、取材先の方から、
おちさんは、私たちの思いをわかってくれているから、信じて託せます。
取材してくれてありがとう。
という言葉をいただきました。
その時は、提出に間に合わせること、はじめての原稿執筆、はじめてのアナウンスで頭がいっぱいでした。
だから、この言葉をいただけることがどれだけ幸せなことだったか、わかっていませんでしたが、この経験を通して、取材において大切なことを学びました。
相手の思いを100%で受け取ること
そのための土台として、ありったけの下調べをすること
です。
じゃあ、これだけで決勝まで残れるでしょうか?
去年の決勝大会を見るまでは、これができれば100点だって思っていました。
でも、そんなわけないですよね。だって、決勝まで残る人は、みんなやってます。
じゃあ、評価される作品になるか、そうでないかは何で決まるんでしょうか。
私はこの一年間、その答えを探すために制作活動をしていました。
1位をいただいた作品は、ドキュメンタリーですから、取材が肝だということは変わりません。
じゃあ、今年は去年となにが違ったのか。
それは、
私は、取材を通してなにを感じたの?
私は、作品を通してなにを伝えたいの?
と考えながら、作品に落とし込んだいうことです。
ただただ、「これを伝えたいんです!!!!」という一方的な押し付けじゃだめってことに、気づいたんです。
押し付けにならないために必要なのは、「私が」どう感じ、「私が」なにを伝えたいか、自分を見つめ直す必要があったんだと、気づいたんです。
「相手の思いを100%で受け取れ」と言ったじゃないか
と思ったかもしれません。
その通りです。
でも、「ただの代弁者」に終わっていいのでしょうか。
代弁するより、本人の口から出る言葉の方が、重みがあるに決まってます。
代弁である以上、本物よりは弱くなってしまう。
じゃあ、作品であることの意味はなんだろうか。
それは、
実際に取材をした人間だからこそ、感じ、伝えたいと思ったもの
これを、表現できるところにあるんじゃないだろうか。
これが、私が至ったひとつの答えです。
なにか素晴らしい活動をされている方々は、その方々自身の理念があるはずです。
それそのものを伝えることも、もちろん大切です。
でも、そこで止まってしまっては、代弁のままなんです。
彼らの理念、彼らの姿を通して、あなたはどんなことを感じ、考えたのですか?
そこまで表現できたら、もっともっと、深みのあるものができます。
考えてみれば、童話だってそうじゃありませんか?
「オオカミが来た!」と、嘘ばかりつく少年がいました。
嘘をつきすぎたあまり、本当に必要なときには、村人たちは、彼のことを信じなくなっていました。
その結果、村の羊は(あるいは少年は)、オオカミに食べられてしまいました。
このストーリーを通して伝えたいメッセージは、
日頃から、正直でありなさい。
そうすれば、信頼関係を築くことができるし、
本当に助けが必要な時に、周りの人が助けてくれますよ。
ということでしょう。でも、物語の中に、そういうセリフは出てきません。ただそこに、事実があるだけ。
去年のアナウンス部門優勝者は、まさに、完璧でした。
この童話のように、事実を伝えただけで、メッセージをそのまま言葉にしたわけではありませんでした。
でも、原稿の構成や読みから、取材を通して感じたこと、ご自身が伝えたいメッセージが、しっかりと汲み取れるものでした。
そこに、「無理」がないんです。ちゃんと、メッセージに至るまでの道筋が示してあるんです。
それゆえ、メッセージが染み渡ってくる。
大変伝わりにくくなってしまったかもしれませんが、「論理の飛躍がない」というのが、いちばんわかりやすく、かつ近い表現でしょうか。
ここまで自分の答えが出ているのに、どうしてアナウンスでは決勝に残らなかったか。
そこが、アナウンスならではの難しさでもあると思います。
「事実」や「実際の言葉」しか、要素として使えないことです。
プラス、アナウンスの技術面がかなり要求されますね。
原稿を深く理解して読んでいることは、当然の前提としてあります。
「上手に読もう」ではなくて、「伝えたいことを伝えるための読み」が、正確に・緻密にできているかどうか、というところがかなり重要ということですね。
その点、ドキュメンタリーは、効果音やBGM、ナレーションも、要素として盛り込める。
その分、論理の飛躍が起こりにくい。
だからこそ、アナウンスでは勝てなかった私でも、勝てたということです。
ただ、情報量の塩梅は難しいでしょう。
実際、私が葛藤したのもそういうところであって、講評で指摘があったのも、そこでした。
取材した身として、「この言葉は残したい…!」という意地との葛藤がありましたね(笑)
長くなってきたので、OHBのみなさん(?)や、作品作りに興味がある人に、私が残したいひとことは、
あなたがどう感じたか?を大切に
です。
あえて、私が大好きな作家さんであり、『鉄道員』の著者である、浅田次郎先生の言葉を借りるとすると、
己に忠実でなければならない
ということなんです。だからこそ、
不正解はあるけど、正解はない
なんです。
これは、私が入部して間もないころ、先輩にいただいた言葉ですが、やっとその意味がわかってきたような気がします。
そして、改めて振り返ると、1位と2位の差は、
私は、どうしてもこのメッセージを伝えたいんだ
という強い思いと、それゆえの葛藤が、作品の中にどれだけうかがえるかにも、あるのではないでしょうか。
大変長くなってしまいましたが、いかがでしたか?
さすがにこの話は、OHBの中でも私にしかできない話なのでは、と思いまして、コラムにしてみました。
もしかしたら、さらに2年後にはまた違った答えに至っているかもしれませんが、これが、今の私の答えです。
みなさんには、どんな答えがありますか?
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
では、いつかまたどこかで、お会いしましょう!
コンペティションとは、競うことであるため、結果を残さなければなりません。
しかしながら、そこに至る課程も大切です。
そこに参加する意思を表明しながら、明確な理由もなく参加しなかった人は、どういう思いで今いるのでしょうか。
厚き思い、制作する過程での仲間との闘いと協調。何も経験せずして結果を残した人を批判する。その根拠は何でしょう。
一所懸命に部活動をやり遂げ、結果を残した越智さん、おめでとう。
先に産まれた者さん、コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、2位をいただいた作品は、仲間たちと自分との間に壁のようなものを感じてしまったことから、生まれた作品でもあります。
ただ、先に産まれた者さんのおっしゃる「協調」を感じたことも、事実です。
そしてまた、結果が残るか残らないかということだけではなくて、その過程において得るものもたくさんあると、私も思います。
やらないよりは、やる方が、絶対に多くの学びを得られると、私は信じています。
もしかしたら、参加されなかった部員は、「失敗」が怖かったのかもしれません。
私にも、同じように怖さはありますが、それでも、一歩踏み出す勇気を持ってほしいと思っています。
そして、そういったメッセージを込めたのが、1位をいただいた作品でした。
そういうわけで、先に産まれた者さんからのコメントを拝読したとき、「全てお見通しなのですね…!」と思いました(笑)
12月で、3年生が引退し、新体制のOHBとなります。
そしてきっと、彼ららしい信念を持って活動されると思います。
そんな彼らの姿を、引き続き応援していただけますと幸いです。